nanamicha’s diary

いち看護師の、考えてることを吐かせていただきます。

おばあちゃん、わたしはあなたのことをずっと覚えています。

 

母と会った今日。

母が、実家に帰った話をしてきた。

何しに帰ったの?施設にいる祖母に会いに行ったんだよね?

 

 

このご時世、施設は面会謝絶なので、会いたい気持ちを胸に、祖父のお墓参りだけして帰ってきたとのこと。

 

 

 

この世に生きてるのに、

会いたくても会えないこの世って

なんの意味があるんだろう。

この世のどこかで生きて、元気にしてくれれば

それでいいってわりきれるわけない。

わたしは、わたしが母の立場だったら

施設にいる自分の母に会えないなんて

どんな状況でも納得できないと思う。

 

 

 

 

おばあちゃんの👵話をした。

 

わたしがお腹の中にいる時、

母はつわりがひどすぎて妊娠悪阻だった。

母の義理の父母が(つまりわたしのお父さんの両親が)、母の体調も気にせずに、両親の家にいきなりくることになってしまったとき。

 

👵じゃあわたしの家に来てもらって。

ご飯でもご馳走しますね。

 

と、助け舟を出してくれたらしい。

 

 

優しいね。

おばあちゃんの優しいエピソードは、

親戚の誰しもがみんなある。

おばあちゃんの笑顔は、わたしはずっとずっと忘れられない。

 

 

 

おばあちゃんがまだ元気で、

おじいちゃんと2人で暮らしてた頃、

学生だったわたしは母とおばあちゃんに会いにいった。

おばあちゃんは、お昼、お弁当をつくって

おじいちゃんの仕事場まで持って行ってた。

それをみたわたしと母は、

わざわざ持ってかなくてもいいのにーーーー!

と、思ったものだ。

 

 

認知症になってしまったいまのおばあちゃんも、

その時間になると

いまもおじいちゃんにお弁当をもっていこうと

準備をはじめようとするみたい。

 

 

 

 

おじいちゃんの👴身の回りの世話を

ずっとずっとしてきたおばあちゃん。

いろんなことを忘れてしまっても

おばあちゃんの侵されない部分は

たくさんあるんだろうな。

 

 

施設に会いに行ったときも

わたしらのこと認識してなくても

ほんとにみんなに礼儀正しくて優しくて

別れるとき手を振ってくれたおばあちゃんは

幼い頃に手を振ってくれたおばあちゃんそのままだった👵

 

 

 

わたしは、

認知症になってしまった人や

その家族の力になりたい。

 

 

いましてる看護師として

どんなふうにその人たちの

役に立てるか考えたい。